私的ミステリ論(2) 〜ミステリの定義?〜
2004年12月19日 ミステリ論
『作者が稚気あふれるかんじで自分の頭の良さをひけらかしているもの』
をミステリと定義しました(無茶苦茶だけど)。
一応、なんでそうしたか、理由のようなものも書いてみたいと思います。
すべての小説にはアイディア、発想というものが必要です。しかし、その中でも、ミステリには必ず入れなくてはならない種類の発想があります。
それは、読者を欺くための発想です。これがないとミステリになりませんから。
しかし、逆に言うと読者を欺く必要を求められるのは、ミステリというジャンルだけではないかと思うのです。
そこで、この「読者を欺く」ことがその小説の魅力と直結しているもの、ジャンルの必要性が枷とならず、魅力の本質となっているものを「王道ミステリ」と呼び、魅力そのものをミステリの定義としたい、と考えたわけです。
ざっと考えたところ、2つ見つかりました。
?構成力や論理性によって見せる、頭の良さ、みたいな魅力
?いたずらっ子的な稚気、子供っぽさ
?は却下です。なぜなら他分野の文筆活動でもその魅力を味わうことが出来るからで、むしろ評論などの方が、形式としては有利だと考えたからです。
残るは?です。私はこれがミステリの魅力の本質ではないかと考えました。
「無邪気さ」の魅力を文章によって表現するのは、実はかなり難しいことです。
それは、緻密さ、構成力、といった、面白い小説を書く上で必要となる能力が「稚気」ととても相性が悪いからです。
しかし、「読者を欺く」ことと「稚気」はとても相性が良い。とてつもない大トリックを考えて喜んでるなんて、稚気の塊みたいなもんですから。
この、他ジャンルと比べて有利な部分こそ、ミステリというジャンルの立ち位置であり、本質に最も近いものではないかと考え、上記の定義のようなものに落ち着いたわけです。
えらい長々と書いてしまった。
をミステリと定義しました(無茶苦茶だけど)。
一応、なんでそうしたか、理由のようなものも書いてみたいと思います。
すべての小説にはアイディア、発想というものが必要です。しかし、その中でも、ミステリには必ず入れなくてはならない種類の発想があります。
それは、読者を欺くための発想です。これがないとミステリになりませんから。
しかし、逆に言うと読者を欺く必要を求められるのは、ミステリというジャンルだけではないかと思うのです。
そこで、この「読者を欺く」ことがその小説の魅力と直結しているもの、ジャンルの必要性が枷とならず、魅力の本質となっているものを「王道ミステリ」と呼び、魅力そのものをミステリの定義としたい、と考えたわけです。
ざっと考えたところ、2つ見つかりました。
?構成力や論理性によって見せる、頭の良さ、みたいな魅力
?いたずらっ子的な稚気、子供っぽさ
?は却下です。なぜなら他分野の文筆活動でもその魅力を味わうことが出来るからで、むしろ評論などの方が、形式としては有利だと考えたからです。
残るは?です。私はこれがミステリの魅力の本質ではないかと考えました。
「無邪気さ」の魅力を文章によって表現するのは、実はかなり難しいことです。
それは、緻密さ、構成力、といった、面白い小説を書く上で必要となる能力が「稚気」ととても相性が悪いからです。
しかし、「読者を欺く」ことと「稚気」はとても相性が良い。とてつもない大トリックを考えて喜んでるなんて、稚気の塊みたいなもんですから。
この、他ジャンルと比べて有利な部分こそ、ミステリというジャンルの立ち位置であり、本質に最も近いものではないかと考え、上記の定義のようなものに落ち着いたわけです。
えらい長々と書いてしまった。
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